つばさの雑記帳

2019年7月からはじめました。

いろんな視点で考える力は、必要。

一つの視点でしか物が考えられないことは、共感能力の欠如でもある。

ここからは、私のお話です。

自分の両親は、いつも世間体を気にして、まわりからどう見えるか?だけを判断基準に生きてきた(今も)タイプだ。

今も視野の狭い人たちだ。

両親とも高卒で、日常的に読書をすることもない。

情報源は新聞かテレビかまわり人間の口コミだ。

狭い考えの親に育てられる過程で、色々不具合を感じ、私は精神的にかなり病んでいた方だが、そういうことも“まるでないように”無視され、10代の頃の私は一人で苦しんだ。

親は「見て見ぬふり」「事なかれ主義」のタイプで、親が私に優しい声をかけることもなかった。しかし、親が「どうしたの?」「大丈夫?」と声をかけてくることを期待した。いや、自分で賭けをした。もちろん、声をかけてくることはなかった。

ずっと、私の意思や気持ちは無視し、肉体的・精神神的虐待をしてきた彼らに期待すること自体が間違っていた。

『20歳になったら、自殺をしよう。』と思って、それまでなんとか生きていこう。と目標を決めて、私は10代を過ごした。そこには明るい未来などなかった。

しかし、18歳すぎて、行きたくない大学に通いながら、やりたくないスーパーでのバイトをしながらも、ただ唯一楽しみにして通っていた英会話スクールが突然倒産し、何も楽しみがなくなり、どん底に落とされ、大学へ行く気力もなくなった。アルバイトも友人を誘い込み、自分は辞めた。

鬱状態・ひきこもり状態で、自分が何をしたいのか?どうしたら現状を変えられるか?考えたところ、

①親元から離れる。 ②(親に否定された)やりたいことをやる。

だろうと考えた。

親から離れれば、親の呪縛からも離れらる。 (親に否定された)やりたいことをやれば新しい世界が見えるかもしれない。

そういうことを考える様になったら、生きる希望がちょっとはあると思える様になった。

結局、ちょっとしかデッサンの勉強はできなかったが、意外にも美大に合格したので、美大に行くことになったのだが、そこからが、実はもっと大変だった。

狭い世界で生きてきた私にのって、知らないことがあまりに多く、みんなとのギャップ(デザインセンスやファッションセンスや多様な考え方、自由な発想など)にショックを受け、落ち込む。元々自己肯定感ゼロだったので、なかなか起き上がれない日々が続き、20歳過ぎてから自分のアイデンティティというものを探し出しはじめた。まわりの子達はすでに出来上がってる環境で…。

その中で、たくさん美術館やギャラリーに行き、たくさん映画を見て(読書はほぼしてない)、世界には様々な考え方があると知った。言わずもがな、親の視点は世間体だけを気にした視点であって、広い目で見たらおかしな事だと気がついた。

学校で『「変人」は褒め言葉だよ。』と先生が言っていた(様に記憶してる)し、自由な発想を受け入れるのが美術の世界なので(ジャンルにもよるが)、私の育った環境とは真逆の世界にどっぷり浸かったことで、美大を通して私の凝り固まりかけた思考がリセットされたことは確かだ。

そう、何が言いたいかというと、、 物事を一つの方向からしか見えない思考でいると、なかなか新しい事も受け入れられないし、思考の柔軟性も失う。それを相手に強要すると相手は苦しんでしまう。

そういう苦しめられてる人って、実は実際すごく多いのではないか?と思っている。

私は現代アートが好きだったから、アートを通して知る世界と、親が考える世界があまりにもかけ離れている事に気付き、自分自身を俯瞰することができたし、多数派の考え方が必ず正しいともいえないという事も気付くことができたし、どんなことにおいても、一旦別の視点で考える思考が身についたとも思っている。 私が理解し得ないことは、相手の視点に立って考えてみるように心がけている。

狭い世界(考え方)から脱出する方法は色々あると思うが、私の場合は美術を通してだった。たくさん読書する方法もあるだろうし、世界中の多様な人々と接点を持つだけでもいいと思う。今はインターネットが普及して、手元にスマホがあっていくらでも情報収集はできる。ネット環境がなければ、図書館にいけば情報は得られる。

私の夫は、仕事に関わる知識だけしか興味なくて、それ以外の知識がとてつもなく浅いから、こちらこらあまり深い会話を求めないようにしている。他人を自分が変える事ができないと知ってから、そうしている。世界のニュースも(日本のニュースも)全く興味がないタイプで、どうしたらそこまで興味をなくせるのか?不思議でしょうがないが、目の前の事で精一杯なのかもしれない。そんな人も意外に多いのかもしれない。

私の様にメタ認知ができなければ、生きることも苦しくなる人もいれば、、そんなものを必要としてない(存在をも知らない)人もいていいとは思う。

がしかし、地球温暖化など目の前の問題を考えると、自分視点だけ(便利、安いなど)の考えでは済まされない時代になっている。

相手の視点、動物の視点、魚の視点、虫の視点、いろんな事を考えると、食べる物、着る物、使う物など、環境にやさしいものを選んでいかないと、、この先どうなってしまうかわからない。地球視点、宇宙視点からのメタ認知。あやしい宗教のようになりそうだけども。