つばさの雑記帳

2019年7月からはじめました。

日本人女性の声の高さ、で思ったこと。

海外のドラマに出てくる女優さんらや、CNNの女性のアンカーたち、みんな声が低いな〜ということは、ずっと思っていた。

逆に声低すぎん?と思うくらいでもあったが、よその世界ではそれが普通なのである。言語学的な発声の違いや、声に対する価値観の違いもあるだろう。落ち着いた安定感のある声の方が信頼されやすい。のかもしれない。

だいじろーのYouTubeをみて、アメリカのコメディアンやアメリカ人の共通認識の中に、日本の女性はそんな風に見られてるのか…と思うと、とんでもなく日本は時代遅れの国だなぁと、、がっかりしている。

“そんな風に”とは、日本人女性は声が大人も子供も子供みたいに高いということだ。

日本人女性の声が高いのは、日本人男性も日本人女性も、日本人の中に「女性は愛想がいい」や「女性はかわいらしくしゃべる」などの理想の女性像があって、それを女性に求めてるから、必然的に声がみんな高くなる。のだと思う。

もしかしたら、日本人男性が、そういう女性像を女性に強要してきた結果なのかもしれない。それが、女性の中にも染み込み、愛想の良い声の高い女性をみんなが演じているのかもしれない。

私が、20数年前、はじめて、小さいデザイン会社に入った時、へぼ社長に言われたのが、

社長「あなたは、愛想がないねぇ〜」

という言葉だ。若手の女性従業員=「元気」「愛想がいい」「テキパキ動いて気がきく」と思ってたのだろう。

私は全て逆。「落ち着いている」「ポーカーフェイス」「気が利かない」

電話に出る時の声のトーンも、当時は普通のトーンででてたから、声色についても文句言われた。もっと明るく元気よくと。当時は仕方ない。今の世の中なら、昔ほど声色上げなくても大丈夫な時代になりつつあるとは思う。

笑う必要のないところで、笑いたくないし、なんでおっさんに愛想を振りまかなきゃいけないのかわからなかったし、当時の新人の私は全ての雑用を一気に背負わされた。

  • 電話は誰よりも先に最初に出る。
  • お客さんが来たら、お茶を作って出す。
  • 10時と3時に社長にコーヒーを作ってだす。
  • 朝、早く行って事務所の掃除。
  • ゴミの日はゴミ出し。

色々やらされてた事があったけど、他は忘れてしまった。

雑用で頭がいっぱいなのにデザインを考えることなんて、気持ちの余裕もなくて、色々処理しきれなくて、心が壊れてしまった。

昔の女性は、(男性に反発せず)これをこなして生きてきたから、後の世代が困っているのだ。男性も強要してきていることを自覚すらしていない。

先日、国際芸術祭あいち2022の芸術監督やキュレーターさんや参加アーティストさんたちのプレイベントがあり、参加してきた。今回の概要等を芸術監督さんたち自らお話ししてくれるイベントだったのだが、今回ははじめて、女性の芸術監督さんになった。話の内容は、省きますが、私が気になったのは、芸術監督さんやキュレーターさん(女性)らの声、話すトーンだ。

声のトーンも低く、落ち着いていて、話ももちろんわかりやすいし、聞いてて居心地良く感じた。やはり、世界のアーティストさんたちやアートに関わる世界の人々とコミュニケーションしてきている人たちなので、いわゆる日本人女性らしさ(声が高くて無駄に愛想のある話し方)が全くなくて、ナチュラルで自然で、それぞれ自立していて、かっこいい。

私自身、元々声が低めなので、人生で色々学んで(男性優位社会で生きていく方法として)無理して声を高くする傾向があったけど、これからは、無理して声を高くする必要もないし、ナチュラルに自信を持って話すようにしたい。

日本人の若者の男性の声も高くなってるらしいが、それも社会が求めているのか?日本の社会だけの謎がまだいっぱいありそうである。

日本の女性アナウンサーも、ドスのきくくらいの低い声でやってほしいな〜と思う。まぁ、でも、高い声の方が聞き取りやすいという面もあるけど。

声の高い人が羨ましいと、思っていたけど、自分の声の低さをコンプレックスに思う必要もない。

日本のことしか知らないと気が付けない、当たり前だと思っていることも常識ではないかもしれないということ、世界を知ることは別の視点を知るということ。

自分の中の固定観念、先入観を変えていきたい。

世界のアート作品をみると、私の全く知らなかった世界観、違う世界の視点で作品が作られていて、作家のバックグラウンドを知ったり、作品のコンセプトを知ることで、いかに自分が狭い考えの人間か、ということに気付かされる。そういうことの出会いが、私が現代アートが好きな要因の一つでもある。

最近気になったニュース 最近、修学旅行中の中学生がアート作品を壊したというニュースをみて、

やっぱり日本人はアートの鑑賞の仕方を知らない人が多い。

と思った。

クワクボリョウタさんの作品は、その場でしか体感できない経験を与えてくれる。写真や動画では伝わらない。それが見られなくなるのは、他のアートファンにとっても作家にとっても悲しいこと。

かつての芸術祭でも、団体で作品を見にくる小学生や中学生が、(触ってはいけない作品を)バンバン叩く、ベタベタ触る等をしている子がよく散見された。親もアートの鑑賞の仕方を知らないのかもしれない。日本人はアートやデザインに対する敬意がない。むしろ、「自分もこんなの作れる」と軽んじてるところがある。

野球に興味のない私が、ニュースや新聞で取り上げられても、全部スルーして何も入ってこない。イチローだけは入ってくる。

現代アートに興味のない子らに、わざわざアート鑑賞の機会を作る意味もない気もする。何も響かないのだから。

なんだか雑多な内容になったが、日本と海外の国々を比較したところで、日本に住む日本人は、日本の同調圧力の中で生きていかなきゃいけないわけで、結局、あれやこれや考えたところで、生きづらい社会との戦いなんだな〜。