つばさの雑記帳

2019年7月からはじめました。

大学入試テストで思い出すこと。

センター試験から共通テストと名前と内容も?変わったようだが、、


私は、18歳の時と20歳の時と2度もセンター試験を受けた事がある。

1990年代のお話です。

18歳の時は、親の敷いたレールに従っていたので、勉強もろくにせず、テストを受けたわけだが、

国立大は失敗して、私立大(経営学科)へ行く事となった。


そこから色々あって、2年後、またセンター試験を受けることになった。

センター試験は何故受けたか記憶がないけど、とりあえず美大受験の為に一応受けたってだけだったかなぁ。第一志望は私立だったのだけど。

最終的には私立の某美大に合格した。(それまで行っていた大学は中退した)


当時はセンター試験と成人の日が一緒で、成人式も出られなかった。

結局、国公立は失敗してるので、何でセンター試験受けたんだっけ?www


それはおいといて、、

私が受けた美大の入学テストは、実技+国語・英語 だったと思うのだが、、

その国語の内容が、今まで読んだ文章の中で衝撃を受けたくらいインパクトがあった。

(実際詳しくは覚えていないが)男性と女性の事についてかいてある文章で、

ある種ジェンダー論的な内容で、(ほぼテスト内容の記憶はないのだがこんなイメージの内容↓)

女性だからピンクや赤、女の子なんだからかわいらしくとか、

男性はだから青、男だから弱音をはいちゃいけないとか、

そういうことを小さい頃から擦り込んでいいのだろうか?もしくは、我々は擦り込まれている。的な内容だったと思う。

テストを受けながら、「ぉお!」と思った記憶がある。

1990年代半ばの時代にしては、新しい考えだなと思った。試験内容の文章のチョイスが斬新だなと思った。心では感じていたけど、誰かとジェンダー論的な話をした事もなかったので、女性は女性らしくしなければいけないと思い込んでいたから、目からウロコが落ちた感じがした。

当時は特に、女性はこうであるべき、男性はこうであるべき、とう風潮は強かったと思う。

テストを受けながら、さすが美大!って思った。


だが、今の時代も結局変わってない。(日本においてはおそらく特に)

女性はこうあるべき、男性はこうあるべき。という擦り込みが強い。

子供に着させる服も、色分けされてるし、おもちゃも女の子のおもちゃ、男の子のおもちゃ、と分けられている。とはいえ誰もが使えるおもちゃももちろんある。

小学生の頃、私も男の子が遊んでるような変身できるロボットのようなおもちゃで遊びたいって思ってたけど、できなかった。バービーで着せ替えして遊んでも楽しかった記憶はない。女の子は人形遊び?っていう擦り込みがどこかにあると思う。

テレビゲーム(当時はファミコン)もどちらかというと男の子の遊びだったように思う。男兄弟がいる女子の家には大抵一家に一台はあった。うちは女二人姉妹なので、買ってくれそうになかったのだが、(私は)母と交渉するのが得意だったので、最終的に親に買ってもらう事ができた。


子供の頃は、母親の趣味でヒラヒラした服着させられていたけど、苦痛だったなぁ。

姉と色違いの服を買ってもらう時も、姉が水色で私がピンクになってしまった。その服はデザイン的には絶対水色が良かったのだが、ピンクになって凹んだ。今はピンク色は好きだけど、子供の頃は好きじゃなかった。「私も水色がいい〜っ」て泣いた記憶があるwww

兄弟だと上(兄、姉)の意見を優先するってのも、ありがち。

姉だから、兄だから、妹なんだから、等も同じ論理で、かなりの擦り込みがあると思う。

男だから〇〇でなきゃならない、女だから〇〇でなきゃならない、というのはなしにして、

男性らしさ、女性らしさはとは何か?もう一度考え直す必要があるなぁといつも感じている。

「男なら…」「女なら…」ってワードはテレビ等でもよく耳にするが、もうそろそろそういう事言うのは終わりにして欲しいし、そういう表現は私も言わないように気を付けている。