つばさの雑記帳

2019年7月からはじめました。

ボランティア経験の話 

東日本大震災のボランティアに行ったのは、2011年6月に2回、7月に1回のたった3回だけなのだが、6月に行ったボランティアは、0泊3日の弾丸ボランティアで、大型バスにぎゅうぎゅう詰めのボランティアツアーだった。7月は別の団体で行ったので、宮城岩手に観光しながら(現地でお金を使って支援)の旅行も兼ねたツアーだった。

まず前者の弾丸ボランティアに参加した時の主観的思いを書く。

実際被害に遭われた方がいっぱいいて、家も何もかも流され、辛い思いをしている人たちが大勢いるのはわかっているが、現地に知り合いがいないというものあるし、ただ瓦礫のみを撤去する作業の一員として参加したわけだから、文句を言ってはいけないと思っている。

なんだけど、実際現場の作業がつらすぎて、つらすぎて、でも被災者さんたちのつらい思いと比較したら、自分は生きてて元気なわけで、自分がつらいとか苦しいとか言える立場ではない。
 
まず、弾丸ツアーなので、0泊3日(1日目夜出発、車中泊→2日目朝到着ー作業ー夜出発、車中泊→3日目朝地元着)。バスでの移動は長時間かかるのにもかかわらず、ぎゅうぎゅう詰めなので、椅子も直角で睡眠がまともにできない。バス代も、ゴーグル、長靴、防水の作業服、防塵マスク等全部自腹。時間とお金を使う。それだけでも思ったより出費。お財布痛い。まぁこの時点で、私がボランティアをやれる器の人でなかったのかもしれない。ただ、自分も何か役に立ちたいって思っての行動で、ボランティア精神とは何かも知らないわけで(一応冊子に説明が書いてあったかもしれないが)、なんだけども、とにかくつらい体験だった。

「つらい体験」と聞くと、現地の人に寄り添って話を聞いて、つらい体験を共有したとか思うかもしれないが、そういう経験はない。そういうのはテレビなどのメディアを通してしかしらない。今私がここに書いているのは、自分視点の身勝手な気持ちと、実際ボランティア経験を通しての私の主観からの感想ーつらさ、しんどさ、孤独感、むなしさ、後悔、もやもやーを、私にとっての「つらい体験」と言っている。

ただ、夜行バスに乗り、現地でドロドロの土の中から、みんなで瓦礫(瓦礫と呼んでいいのかも疑問)を掘り出し、移動させる作業を繰り返す。もちろん休憩もたくさんあるし、6月で蒸し蒸しする季節だったので、ゴーグルにマスクにヘルメットもして、防水の作業着、長靴を履いてのフル装備ではさすがに暑かった。しかもボランティア同士も誰が誰かわからないし、元々誰かもしらない。ただ同じ気持ちで参加してる人たち。みんないるけど、孤独感を感じ、汗だくになって、流されてドロドロになってるドアだったり、家のバラバラの破片を掘り出しては運ぶ。そこは家がたくさん立ち並ぶ景色だったのかもしれないが、家はなく家の土台だけが残り、山と海に挟まれた広い景色だった。以前の景色を知らないので、どれだけ大変な状況に変わったかなんてわからない。タイムスリップして、いきなりそこに置かれて、「さぁ作業しましょう」という状況なので、私はそこに立って存在しているのに、どこにいるかわからない感じ。一緒に参加した仲間も、みんなフル装備なので、誰が誰でというつながりもない。昼は各自持ってきたコンビニおにぎりを食べ、また午後も撤去作業。確か、到着した時と、帰る時に、現地の方からの挨拶があったが、その方と私は直接会話するわけでもないし、どう声をかけていいかも分からない。むしろ、あまり声をかけないようにと言われていた気もする。ただ、その現地の方はみんなに労いの声をかけてくれたけど、私がした作業はほんとに少しで、何にも役に立ったと思えないし、あまりに大きく現実とは思えない災害を目の前にしたら、自分があまりに非力だということを突きつけられただけだった。現地の方がどんな思いか知りたかったが、現地の人に気さくに声をかけることなんて許されない。たった1回、2回だけ参加した人間が。だから、被災された方が実際どんな思いかなんてわからないし、ただ何もわからず、(休みながらだけど)一心不乱に作業した。

移動と作業も含めて、とてつもない大変な作業をして、心がつらすぎたという感想を持っている。一緒に参加した方たちは現場限りの人なので、このつらさを共有しあえる相手もいない。みんなつらくなかったのか?これがトラウマと言えるかどうかわからないが、今でも、行かなきゃよかったと思える。現地の人に気持ちに寄り添えなかったし、生きてて元気な自分が「瓦礫撤去作業がつらかった」なんて言える立場でない。自分がいかに身勝手で何も知らないか、自己中か、剥き出しにされる。

実際参加してそこに行ったから、自分の弱く自己中で利己的で卑しい心に気付けたのか?わからない。心にゆとりのない人間が参加すべきじゃなかった。又は、主催者側の参加する人たちへの思いやりが欠けていたのか。

しかも世の中の人々の大半が、撤去作業のつらさより、被災者のストーリーを聞きたがる。テレビやメディアは人の心に平気で入り込んでインタビューするから、私たちは現地の人の大変さを知れるけど、一個人で参加した程度では、わかるわけない。なので、ボランティア経験の話は、しないことはないが、皆の求めるつらい現地の方のストーリーを私は持ってないので、私は何も話すことができない。


6月の経験とは逆に、7月に行ったボランティア旅行は、個人が計画して参加者を募ったツアーで、4〜5泊して、平泉(中尊寺金色堂)や松島にも行き、温泉にもつかるというお楽しみもあり、現地でお金を使うというボランティアツアーだった。作業も瓦礫撤去じゃなく、街路樹まわりの草取りだった。このツアーは計画にゆとりがあったので、一緒に参加した仲間と仲良くなり、その一人が一生の親友になった。このボランティアへ参加したから、なんとか心が保たれ、いい経験をした〜と思える。私はネットでこのツアーに応募したのだが、このボランティアツアーを主催した人が父の知り合いで、元町議会議員の人だった。(なぜわかったかというと、その方が経営する喫茶店が父がよく行く喫茶店で、そこにボランティアの集合写真が飾ってあって、そこに私が写っていたのを何故か偶然見つけたらしい。)その方が4〜5年前に亡くなったと父から聞いて、この主催した方の思いをもっと知るべきだったなぁとも後々思った。

やはり、6月に参加したボランティアは本当につらかったけど、7月に参加したボランティアでは色んな出会いがあったので、それで相殺されてるのかもしれない。

つらかったけど、それだけじゃない。結果、経験できてよかったのかもしれない。

今となっては、コロナコロナで遠方からの人が気軽にボランティアできる状況じゃないし、時代って先が読めないから、やりたいことはやりたい時にやって大丈夫なんだと自分に言い聞かせたい。