つばさの雑記帳

2019年7月からはじめました。

シール剥がし

「シール剥がし」がダイソーに売っているらしい。

夫がわざわざ、それを買いに行くためにダイソーへ行った。他に寄り道してる可能性もあるが、往復3時間使って100円のものを買いにいっていた。

私には「シール剥がし」なるものはまるで不要なものだけど、どういうシチュエーションで使うのだろう?(→夫は古いゲーム機をちゃんと使えるように修理するのにゲーム機についてるラベルを剥がしたかったようだ。オークションで安く買ったワンダースワンを魚探として使えるように分解して修理しているらしい。完全に趣味の世界。昨年はゲームボーイを修理してた。売るわけでなく自分で使えるようにして使うのが目的。)

私からしたら、わざわざ「シール剥がし」を買う意味を感じないのだが、、。 (そもそもジャンク品と言われる壊れたゲーム機をオークションで買う事自体わからない。「壊れた」「故障した」というワードを言うと、夫に「壊れてない」と修正されるのだが、私からしたら意味がわからない。要は修理して直るものは壊れてないということなのかもしれない。一般的にはそれを壊れていると言う。全く天邪鬼の野郎だ。)

シール剥がしがなくても、一応代用品でなんとかなるらしい。↓

要は、素材に寄っては、代用品では向き不向きがあるから、自己責任でという事なわけね。

夫は、色々な用途に分けた洗剤なんかを買うのが好きで、企業の戦略に踊らされてないか?と思う。セスキ炭酸ソーダ、過炭酸ナトリウム、ならまだいいとして、なんか色々増えている。

料理も◯◯の素的なものがないと作れないと思っているらしく、用途別に一時はなんか無駄なものがいっぱいあった。焼肉のタレなどは、私は絶対買わないのだけど、夫が買ったものが冷蔵庫に入ってて、一回封切ってからもう何年も使ってないと思われるが、あえて放置している。(多分買ったことも忘れてるのだろうな)

わざわざ買ったところで、使い切ることのないようなものを買うメリットが私には感じられないのだが、、

人によって、何が有益で何が無駄かという考え方が違うから、どうしようもない。ただ、修理して再利用するというのはいいことである。修理に使う部品を中国から取り寄せるとかまでなると、エコだかエコじゃないんだか。

ここ最近は、地球環境のことを考えると、わざわざプラスチックで作られたものを買う時、一回本当にそれが必要かどうかを考えるようになってきたし、代用できるのであればあるもので代用すればいいと思うのだが。

最近はダイソーなど100均自体が、あまり環境によくないんじゃないかと思う。

安い→買う→すぐ壊れる→安いから捨てちゃえ!

すぐゴミになってしまう悪循環ループ。

日本の100均も海外並みの価格帯(200円くらい)にしてもいいんじゃないかとさえ最近は思う。

夫が帰ってきて、百均で買ってきたシール剥がしをさっそく使っていたが、夫に「きれいにシール剥がれたか?」と聞いたところ、「やっぱ専用は違う」(=きれいにはがれたという意味)という答えが返ってきた。まぁ、彼にとっては、そういうことなのかもしれない。

日本語はハイコンテクストな言語なので、「やっぱ専用は違う」と言われたら、

専用は違う=シール剥がし専用スプレーはちゃんとシールの粘着がキレイに剥がれる。

と受け手側が意味をいちいち考え、シールが剥がれたってことなんだなぁという意味を導き出さなければいけない。

私側からしたら、もっと説明的に説明してほしい(わかりやすく言ってほしい)のだが。

私が意味を導き出せない場合は、何度も何度も質問する。夫は質問したことしか答えないor聞いてないことを答えるので、意味を理解するまで時間を要す。

初めから、主語や述語や目的語を使って、説明してほしい。主語が抜けることで、しょっちゅう誤解がうまれる。

言語学的問題と、心理戦みたいなのが混ざって、人ってややこしい。

ちょっと横道それたが、、、

私は、ジャムの瓶や蓋なんかのシールの粘着を剥がすのに、よく台所洗剤水につけてから剥がすのだが、それで十分綺麗に剥がれる。

一応、夫がダイソーに行く前に聞いてみた。

私「シール剥がしの素材がわかれば代用品でできるんじゃないの?」

夫「化学式が分かればできるかもしれんけど、そんな難し事わかるわけない。」

とそれらしい答えを言うのだが、私の話を無視して、飛躍している。だいたい、彼の受け答えは、いつも的外れなのだが。そして聞く耳を持たない。彼はどうしてもシール剥がしが使いたいのだ。けれど、そうとは言わない。

代用品を使うつもりがないなら、「シール剥がしスプレーを使った方が便利だから」と言えばいいのではないか?

わざわざ、それらしい事を並べ立てて、私の提案を否定する。否定するのはいいのだけど、化学式どうのう…という理由が気に入らない。毎度、こんなひねくれ方で答えられる側の身にもなってほしい。ただただ面倒くさい。素直に言えないもんなのか。思考回路がひねくれ曲がってる。

洗剤と水で浸した布切れなんかをちょっと粘着部分につければ、おそらく剥がれたんじゃなかろうか?と思うが、人の話はまず受け入れない石頭の夫なので、私がアドバイスすること自体が無駄なのだ。

夫的には「シール剥がし」が欲しいわけなのだから、私にそれを止める権利もないし、考え方が違うわけだから、会話が交わるわけもない。

そうなると、「会話するだけ無駄だ」みたいになって、休日は一日会話なし状態になるわけだが(今の我々)、ほんとうに、それでいいのだろうか?私にとっては、たわいもないくだらない会話なんかが重要だと思うのだが。

「会話するのが無駄だ」思っている人は、思考が柔軟じゃないから。だと思うのだけど、どうなんだろう?

いつも自分の意見が正しい、人の話に耳をかさない人は、年齢を重ねれば重ねるほど、石頭の老人になってしまう。

何でもかんでも否定しないで、人の意見を聞くことも大切なこと。すぐには理解できなかったとしても、一回意見を受け入れる必要はある。

これは自戒も込めての話だが。

心理学、もっとちゃんと勉強したい。